非対称なボランティア

海外

 半年間の留学生活で、二度ボランティアに参加しました。私自身、得られたものが大きく、充実した時間を過ごせました。しかし、一方的ではなかったか。受け入れ側の立場になって考えてみました。

 ボランティアというのは、お金をもらわず人のために働くことから、立派な行為のように思われます。ところが、本当は、自分の満足感のためにやっている人もいるのではないかと思いました。「奉仕の精神を持っている自分は素敵」という気持ちです。つまり、「見返りなしに他者に奉仕する自分に酔っている」のです。これは、一種の見返りを求めていることになります。

f:id:MihoYamaki:20191214164531j:image

 もちろん、自己満足が目的であっても、しっかりボランティアで役に立つことができれば立派だと思います。しかし、別にボランティアでなくても、人の役に立てるのではないかと気づきました。

 現地では、気づかないうちに迷惑をかけていたかもしれません。私達から一方的に教育や交流のために押しかけて、同等な機会を相手に保障していません。こちら側だけが学んで、善意の気持ちを発露できればいいのでしょうか。

 また、このような記事を見つけました。“企業のCSRの森林保護活動で大勢の社員が森に入り、踏み荒らす。環境への負荷が増えた。”よかれと思った行為が、現地の人達に対して、全て有益になるわけではないのです。

 ボランティアをする上で、「相手が何をしてもらいたいか」を大前提に考える必要があると思いました。受け入れて頂く側として、望まれる行動を考えることが重要だと感じました。

2019/12/13 八巻美穂

コメント

タイトルとURLをコピーしました