前回のブログで、私はハーフではありませんが、「ハーフとして日本社会で生きていく事の生きづらさ」について書きました。友人のハーフとして生きるSayakaがこのことについてブログで発信しているのを見かけ、それから様々なハーフとして生きている人の動画や記事を読み、日本にある差別社会を調べて書きました。
このブログを書き終えた時に、ふとした疑問が浮かびました。「いつからこんなにも差別社会になってしまったのだろう。」「ハーフという言葉はどこで生まれたのだろう。」と。これらの疑問を解決するために、ハーフの歴史について調べてみました。
調べる前にそもそも、「ハーフ」という言葉自体がとても差別的であると気づきました。英語では、国際結婚の間に生まれた子供は「ダブル」または「ミックス」と呼ばれます。「ハーフ」は半分、「ダブル」や「ミックス」は2倍という意味があることを考えると、「ハーフ」を使うことはどちらかの一方が欠落しているような印象を与えます。だからと言って外国で「ダブル」や「ミックス」が日本のように多用されているわけではありません。私の経験上、外国において、見た目から「どこのダブル?ミックス?」と聞く人はいませんでしたし、初対面で出身や国籍を聞くことは失礼にあたる文化があるように感じました。この様に日本でのみ浸透している、そして見た目だけでカテゴライズする「ハーフ」という言葉は、とても差別的であると思いました。
特定の人々に対して「ハーフ」という言葉が使われ始めたのは、歴史学や社会学の領域では1970年ごろと言われているそうです。すなわち、現在で「ハーフ」が誕生して半世紀が経ちました。
お茶の間に「ハーフ」が浸透し始めたきっかけは、ドリフターズと共にテレビ出演して人気を博した「ゴールデン・ハーフ」というアイドルグループだと言われています。しかし、彼女達がメディアに取り上げられる時は決まって、セクシーさが過度に強調され、時には卑猥な表現が使われていたようです。私は当時のアイドル文化や、ハーフの受け入れられ方は分かりませんが、彼女達について調べてみたところ、ほとんどの衣装が過度の露出が求められているものでした。歌詞の内容を見ても、性的な対象として描かれているものが多いなと感じました。また、当時のテレビ番組では、彼女達の日本語のたどたどしさが強調され、話言葉はしばしばカタカナ表記だったそうです。「ハーフ」の、特に女性に対する、性差別的で偏った表現は、この当時から始まっていたのだと分かりました。
「ハーフ」という言葉が誕生するずっと前は、日本では「混血」「混血児」として扱われていたそうです。そして戦後には、米兵と日本の女性との間に多くの子供が誕生しました。家族や養子としてアメリカへ移住した子もいたそうですが、日本で暮らす子供の中には母子家庭や養父母に預けられ日本で育った子も数多くいました。また、貧困に陥るケースや、深刻ないじめを経験するケースが社会問題化しました。その後、小学校入学をめぐってこの子供たちを「同化」するか「隔離」するかという議論も起こり、これらは「混血児問題」として社会を賑わせました。
もちろん、当時の文部省や厚生省はこの深刻化するいじめや差熱について把握していました。特に文部省は、各学校の教師によって記録されたデータを収集、編纂した「混血指導記録」を、数年間に渡って全国の学校に配布しました。ここには、いじめによって自殺を考えてしまう小学1年生や、差別的な発言を受け続け学校に通えなくなり寺に預けられる少女など、深刻な事例が各学校から報告されていました。
しかし、当時の文部省は「問題はない」という姿勢を崩しませんでした。「混血児」は日本人だから無差別平等に対処する、という方針によって具体的な支援政策はとられず、そのことが、彼らに対するいじめや差別の状況を悪化させてしまった原因とも言われています。
60年代から80年ごろ、日本が経済成長し、世界の中でも存在感を高める中で、「日本人論」や「日本文化論」といったジャンルの書籍が大量に出版され、多くのベストセラーを生みました。その中では単一な「日本人」像が繰り返し記載されましたが、「混血」や「ハーフ」の存在は、意図的か無意識的かは分かりませんが、ほとんど記載されていなかったそうです。単一民族としての「日本人」というイメージは、彼らの存在そのものを無化する形で世間に広がりました。この様にステレオタイプな考え方は、長年の日本の文化が作り上げてきたものでした。
ハーフの歴史について調べてみて、こんなにも日本社会に根深くある文化だと知り本当に悲しく思いました。半世紀もの間、彼女達は苦しみ続けているのです。この文化は私達世代で根絶できるように、まずは日ごろ使う言葉から気を付けて、そしてこの歴史について広めていきたいと思います。
2020/09/14 八巻美穂
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