LGBTQ。人権。人種差別。
昨年から、「多様性」に関する言葉を多く耳にするようになった人も多いのではないでしょうか。「多様性」ってなんだか難しい言葉で、自分にはハードルが高い。だけど、差別から目を逸らすことはできない。そう思ってモヤモヤしながら、日常生活を過ごしている人も多いかもしれません。
日系ペルー人の母と、ペルー人の父を持つ「くりちゅん」。日本生まれ、日本育ちで誰よりも日本を愛する彼女。自身のバックグラウンドを踏まえて、日本の多様性について、ブログで発信しています。
今日は彼女のバックグラウンドに焦点を当てて、くりちゅんの心境を聞きました。
誰にも頼れない「学校」が嫌いだった
日本でしか住んだことがないのに、「外国人」として扱われた幼少期。
見た目が周りと異なることで、コンプレックスを持ち始めました。自分は違うんだと言い聞かせるようになり、自信がなくなりました。
幼少期の子供たちは、「多様性」への教育を受けてないので、気づかないうちに差別的な発言をしてしまいます。自分の親が「外国人=○○」と言っていた発言を、外国人に見える私の前で話してしまうのです。
大人に頼ろうと思っても、先生たちもわからないことばかりで、声を上げられず我慢することが多かったです。
例えば、ピアスの穴。南米では、赤ちゃんの時に開ける文化があるので、私も幼い頃から開けていました。でも、日本には「ピアスの穴を開けていることが悪い」みたいな文化があります。耳に穴が開いていても、誰も傷つけないのに。
だから、学校は居心地が悪い場所になり、嫌いになりました。
誰にでも「平等」に接していたから、居場所を作れた
中学生の頃も変わらず、自分の思っていることを言えない子供でした。授業で発言することもなかったです。人前に立つことが恐怖でした。今とは全然性格が違うかもしれません。
こうなってしまったのは、初対面にも関わらず「外国人」というフィルターをかけられてしまったからです。自分のバックグラウンドばかり聞かれて、デリカシーのない発言に疲れてしまいました。
普段の差別的な小さな積み重ねが「目立ちたくない」自分を作り上げてしまいました。
でも、自分が変われた「きっかけ」があります。それは、中学3年生の応援団員。
応援団員は、クラスで目立つような人がやるので、初めはみんなに驚かれました。だけど、クラスの子は意外にも支持をしてくれて、応援してくれました。
自分は普段から、コンプレックスもあって人には平等に接する。そう心がけていました。特に、人が嫌がることは言わないように。なので、みんなが私のことを受け入れてくれたのかもしれません。
それから、人前に立つことに抵抗を感じなくなり、発言もできるようになりました。
「女の子」だからというレッテルが、自分らしさから遠ざけた
高校生活では別の観点から「違和感」を覚えるようになりました。
「女の子だから」というレッテルです。高校生の頃は人を笑かすことが好きだと気づき、そのように周りにも振る舞っていました。
でも、「女の子だから」という周りの発言が、自分らしさに葛藤を作りました。
「女の子なんだから、○○しなさい。」「そんなことしていから、モテないんだよ。」「普通にしてたらモテるのに。」
女の子は、男の子からモテることを意識しないといけないのかな? 彼氏いない=負け組と捉えられるの? 男の子から好かれるために自分を変えないといけないの? と違和感を持ち始めました。
そんなの知らんわ!って思いながらも、内心は傷ついていたことを思い出します。
私は、自分がどう振る舞うかは「その人が決めること」だと思うのです。周りが「こうなりなさい」と決めることではないですね。
環境を変えた大学、視野が広がった
大学では、環境を変えないといけないと思い「ダンス」を始めました。個性を大切にした、正解の形がないダンス。それぞれみんなが違うダンスをしていても、そこには平和な空間があるのです。
ダンスを通して、個性は大切にするべきものと実感。自分が大好きなものがあるのはいいことだと思いました。
学業面では扱うトピックが変わったことで、今まで我慢してきた不快な気持ちは「自分だけじゃない」と気づくことができました。さらに、自分が体験してきたことは、社会としても大きな問題でなっていました。
「LGBTQ+、人種差別、外国人差別、ジェンダー格差」もっと社会について知りたい。知らなきゃいけないと思いました。
日本は「多様性」が溢れている国
私は辛い経験を日本で多くしたけど、「日本は多様性で溢れている国」だと思います。アニメ。漫画。食文化。他の国にはない魅力がたくさんあります。日本の「多様性」を求めて、海外からの観光客はとても多いです。だから、日本は「多様性」が溢れている国だと信じています。
だけど、それに対してみんなが自分を表現できているか? 自分の「多様性」を受け入れて、生きやすい環境にいるかというと違う。
多様性について話すとき、「自分以外の問題」として思われがちです。「多様性」はいろんな角度から考えることができて、そこに含まれていない人はいないと思います。みんながいるから「多様性」という言葉があるのかな。
「ブログ」で誰かのきっかけになりたい
去年、「ブログ」を始めました。
大学から社会人になるまで、深く考えてまとめてきたものを、「言葉にしたい」と思うようになったからです。人に読まれるために書くという意識はありませんでしたが、誰かの何かのヒントになれば良いと思い公開するようにしました。
自分みたいな悲しい学校生活を送ってほしくない。不安になってほしくない。自分を大切にしてほしい。他の人との違いを、強みに変えてほしい。このような想いがあるので、「自信が持てない人」「自分より若い世代」に向けて書いています。
いつかは自分が「多民族国家」に住んでみて、新しい発見をブログで発信したいなと考えています。みんな違って、みんないい。多様性の素晴らしさを実感して、自分がどう変化するのか見てみたいです。
知らなきゃ何も始まらない、耳を傾けよう!
「知ること」が本当に大切。知らなかったら、何も始まらないから。
決めつけるのではなく、その人に寄り添うことを意識するだけで、相手が受ける印象が変わると思います。
決めつけてしまうことで生まれる「固定概念」や「偏見」。これらで判断してしまうことが多いのではないかと感じます。
例えば、ある人種=悪いイメージ。でもそれは、直接その人種の人と話した結果なのかな? その人のことを心から理解しようとしたことはあるのかな?って疑問に思います。
決めつけずに誰かに接するためには、「大人になっても学び続ける姿勢」が大切です。そして、誰に対しても心をオープンにすることも。少し意識するだけで見えてくる世界が変わるでしょう。
新しいことを知る機会やチャンスは「プラス」のことだと思います。それに対して、恐れを持たずに、常に変わる時代に合わせて、自分も変わり続けていきたいです!
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